- 由緒
本町天玉山に在りて、牛頭天王社と称し、総鎮守と仰ぐ。「縁起」のよれば、本社はもと石巻葛西氏居城西北の山にありしを、天文3年大崎家臣渋谷相模守深く信仰し、別当大宝院と謀ってこの地に遷座すと云う。旧神職三上良晤は始め修験であったが明治3年復飾す。又、家伝にいう。その先は良敏(京都の日野師資の庶弟)幼名を磐若丸といい、尊雲親王(護良親王)に仕えたが、親王は東奥にはしるや、後を追って石巻に来合す。親王常に尊信するや天王の像を良敏に賜う。その子良恵これを葛西に請い城の西北の山に祀り、自ら別当となり大宝院と称した。その子良妙一木像を作り本尊をば心中におさめた。即ち今安置する天王の像である。良妙の子孫居を本邑に移して以来12代連綿奉仕すという、(明治8年調書)明治5年5月村社に列し、同40年3月幣帛供新社に指定された。同42年11月23社を合祀する。
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