- 由緒
八幡神社は師山城の北方字八幡29番地に鎮座し、祭神誉田別命(第15代應神天皇)を祀り奉る。堀河天皇の代完治5年(1091年)源義家が清原武則、家衡等を征討せる折り、京都男山八幡宮の分霊を勧請し矢根八幡宮と尊称し崇敬せられた。其後幾多の変遷の儘祭祀甚だしく荒廃したりしが(1516)正親天皇の代、永禄8年城主師山伊豫守親隆の代、社殿を改築し篤く崇敬せり。(1591)後陽成天皇の代、天正18年師山城滅亡と共に社殿建物も兵火の為め悉く鳥有に帰し、師山駿河守祢三郎当主となりし際、社殿を再建して崇敬せり。領主猪苗代權十郎・鮎貝兵庫なる者を師山城主とせし折は篤く崇敬せり。(1627)後水尾天皇の代寛永3年黒木主殿主師山城主となりし時も社殿を増築せり。文政年間(1816)御神体御新調(應神天皇騎馬像)日光の住、渓幽作とある。明治6年八幡宮を八幡神社と改称し村社となる。
- 地図