- 由緒
本社は養老4年の創祀と伝えられ、荒雄山上に鎮座し俗に三十六所明神と称した。延喜の制小社に班す。前九年の役に陸奥守鎮守将軍源頼義安倍一族征討の際大谷孝任をして当社に祈願をこめ黄金十枚、黄金造の太刀一振を献じた。当時の神主阿部保則の後胤式部大輔保時十七日の間祈祷したところ官軍大勝利を得たという。又、後三年の役に源義家も戦勝を祈請したといわれる。大崎氏の志田・玉造・栗原・加美・遠田の五郡を領するや、当社を一ノ宮と称し社領三十貫文を寄進崇敬した。この後、伊達政宗岩出山在城の節本社を郡内総鎮守とし、神領を献じ崇敬旧の如し。明治6年5月郷社に列せられ、同44年5月供進社に指定された。これより先、明治41年8月六社を合併した。
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