- 由緒
天正3年中世の頃、大崎氏の所領にて1寒村であったが第106代正親町(1575)天皇の時代邑人は家族の幸せと五穀豊穣を祈り地蔵尊を安置し地蔵堂と称した宝永6年羽黒派修験者法主栄徳院は村人の代表と共に京都愛宕大権現(1705)の分霊を勧請し地蔵堂と合祀し愛宕社と称した。享保15年大阪落城の所山州清水城主横山和泉守と末裔関根村に移住せしが(1730)その子孫にて清水家の祖横山与市右衛門安時が桑針村に居を構えて大施主となり別当永教院浚蔚並びに氏子と共に東向間四面の本殿鐘楼鳥居長床愛宕山の横額を備えた社殿を復興し社領田三反歩寄進した。文政3年この頃より数人によって愛宕神社精進講を結成し互いに親睦を図り敬神崇祖の誠を捧げた(1820)。明治45年石鳥居建立した(1911)。昭和42年拝殿を新築すると共に本殿を亜鉛鋼板葺きとした(1967)。平成15年(2003)二百70余年の歳月を経て社殿の老朽化甚だしきため米価の低迷に依る経済の不振と世情不安定による平成の大不況の中なれども氏子の総意に依り銅板葺きの本殿並びに拝殿を新築するに至った。
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