- 由緒
口碑によると、第44代元正天皇の御代養老年間(奈良時代717~723年)の勧請にして、東奥地方田疇開拓の勅願所であった。現鎮座地より西方3km位の高清水西村境に祀られたが、亘理氏が現在地に奉遷したという。昔、別当は玉泉寺であったが、江戸時代初期延宝8年(1680年)より宍戸相模守が神主となり宝暦年間(1751~1763年)に社殿が造営されたとつたえられている。奥州七神明社の内の一社とつたえられる。因みに七神明社とは、一の宮秋保長袋、二の宮高清水、三の宮仙台榴ヶ岡、四の宮刈田の白石、五の宮角田、六の宮岩谷堂、七の宮川口で神主は、一社一人と定められていた。(元禄11年=1697年、神社奉行命)境内入り口の大杉の根が大きく橋のように生えているので、根子橋神明とも言われている。嘗て拝殿傍らに、樹齢一千年余の大欅があり、十数里先からも当社の所在が解ったほどだった。しかし、樹幹の洞穴等の危険木とみなし、昭和12年10月東京の銘木商細川馬八へ売却された。現在、大欅の碑が跡地に建立されてあり、大欅の写真も現存する。明治7年1月村社に列す。
- 地図