- 由緒
安永風土記(1778年)に、第12代景行天皇(71~130年)の時、奥州夷賊御退治の為、常州鹿嶋より勧請と伝えられる。と記載され、香取御子御児神社は、延喜式内社(905年神名帳)であり、相殿に奉祭されていると記載されている。別当寺である白鹿山神宮寺は、元和5年(1619年)本山派観音院により、開院され、神社に仕えることになる。本山派三世千手院源光は、享保8年(1723年)境内に石碑建立し、享保年間(1730年代)に祝融の災の社殿を、元文2年(1737年)再建する。その棟札も現存する。文久4年(1864年)、村中安全を祈った白鹿山の御札が現存する。氏子古老の言い伝えに、神社は向い山(茶臼館-館主黒瀬帯刀氏)より現鎮座地に遷座されたと言う。又、向い山から旧栗駒町上黒瀬の地に遷座後、現鎮座地に遷座されたとも伝えられている。年代は、伝わっていない。現在の鎮座地境内からは、凡そ西暦200年~600年位の古墳時代に作成されたとみられる祭祀用土器台脚の破片や灯明皿土器が発掘されている。黒瀬の昔話に語り継がれている「笠松と南部の殿様」の話の中の「長者原」は、現在の鎮座地より西側一帯であるが、平安時代(西暦1000年位)の外貨が多数発掘されている。
- 地図