- 由緒
嵯峨天皇の御代、由理若大臣自愛の鷹の緑丸が主の為めに溺死したが、後人これを哀み祠を建てて祀り、鳥合神社と称しました。後、藤原秀衡が新山権現を併せ祀ったと伝えれられています。(安永書出、名跡志、封内記)。天正18年(1562年)大崎家没落し、慶長10年(1606年)片子沢の鍛冶宮内少輔なる者が社殿を造営しました。(棟札)。※由理若大臣とは、幸若舞曲36番の1つ(戯曲)に出て来る人物で、右大臣きんみつの子、弘仁7年(816年)蒙古の大軍をむかい伐った勇士である。なお百合若の伝説は、北九州・壱岐地方をはじめ各地に伝承されている。※由理若大臣に鷹の緑丸を献上したと伝えられている。
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