- 由緒
御鎮座地は「和名抄」に栗原郡栗原郷(後の尾松、鴬沢、姫松、富野)とあり。「延喜式」の駅場で古栗原寺、営岡、津久毛橋松山道などの旧趾があり、いわゆる平泉藤原氏や源義経などに関係深いところである。この社は往古開拓住民の創建するところで一村の鎮守と崇めた。後に栗原寺を建てたとき薬師堂をも開創したと伝えられるがその年代が詳かでない。又、一説に後花園天皇の宝徳3年(1451年、室町)8月の勧請ともいわれる。後、羽黒派修験和泉院累代別当として社務に預る。なお古くは三十六坊あり極めて隆昌せし由、地誌並びに地名、屋敷名などにその名残りをとどめている。明治の初め、薬師堂を現在の久須志神社と改め、明治10年5月、村社に列格する。
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