- 由緒
当社は人皇70代後冷泉院御宇天喜之年陸奥国安倍貞任兄弟反乱す。陸奥国鎮守府将軍源頼義公嫡子義家公に勅を賜り奥州に発向す。陸奥話記に「源頼義北征進路康平5年7月26日河内国発向。8月9日に致る。栗原郡中山進撃、赴松山道(小堤に行く山道)途中栗原郡吾勝郷真似牛、下釜川に陣す。源頼義父子は三柱の神、天照大神、八幡大菩薩、御嶽蔵王権現を崇敬し朝敵を速やかに討ん事を祈る。延久3年峯々に三神を勧請し奉り社を造営す。下釜館にも白山大神を勧請し奉り天下泰平武運長久、国家安全を祈誓し祭式を奉行せられたと古老の口碑による。其の後、世の盛衰するにともない荒廃せるを承元3年8月箱根山往生寺勧請すると云う。明治8年10月村社に列せらる。
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