- 由緒
奈良時代神亀元年(724)の創祀と云われ、後桓武天皇の延暦10年(791)征夷副使坂上田村麿下降の砌り、本社前に屯営して勝利を祈り、社内に観音堂を営み、これより三迫総鎮守となる。又、後鳥羽天皇の文治5年(1189、鎌倉)閏4月28日源頼朝藤原泰衡征伐の途次本社に参詣し、建久元年(1190、鎌倉)9月征伐了え同月13日報賽の祭事あり、この祭事は今尚古式に依って伝え行われている。明治7年村社に列格。白山社内に観音堂ありて大同年中田村将軍の創建にかかり奥州七処の一で護国の鎮守としたという。又、永承3年(1048、平安)建てたという仁王門の趾がある。鈴鹿の森には古昔神明宮があり、花田池、龍蔵池、五色池、閼伽池などの遺跡があって古社のおもかげをとどめている。(観聞志、名跡志、封内記)。
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