- 由緒
大和国吉野の金峰山蔵王権現の分霊を移祀というも、その年月を明かに伝えない。社伝によれば、慶長以前は、神主中条馬之允、別当蔵竜坊ありて社務に従う。大崎義隆より社領の寄進あり、崇敬浅からず。伊達家の所領となるや宿老遠藤式部少輔の拝領地となり、祭事興行を遠藤家にて行い崇敬し、又社領として田地山林等を献進した。明治9年2月村社に列格す。平泉藤原氏の時代、三山修業の霊場として、花山村御嶽山(石楠花山)に金峯山蔵王権現社が勧請され、座主に里宮があり隆盛であった。藤原氏滅亡後葛西大崎氏の領有を経て衰退したが、伊達氏の頃、花山領主遠藤玄信が衰退した蔵王権現社を里宮のあった久保にお宮を再建し、御嶽神社と名称を替え、一村鎮守とした。明治の頃村社となる。現在は萩の原地内にある。
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