- 由緒
天正年間、葛西氏(清重より11世晴信天正年間寺池城に居る)の勧請するところである。大正の乱に、社殿は兵火に罹り、葛西氏は亡んだ。慶長9年伊達宗直胆沢郡水沢より、この城に移るや、士民、之を再興す。宗直より、4代の裔宗倫の代、万治年中、社殿を更新し、春秋2度の祭儀を極めた。武技奉納の的場、境内に今尚見られる。宗直より6代目の近江村永正徳年中新に、山城国愛宕の神霊を分遷し、代々登米伊達領主の祈願所とした。明治12年、村社に列格。同13年名勝地たる子持杉山上に移したが、大正9年4月、山火事のため、社宇悉く鳥有に帰したので、同10年、伊達家及び氏子崇敬者協力、本殿を造営し、現在に及んだ。境内の子持杉神社は、日知矢肥後守の創祀にかかり、現住日出山家祖先よりの鎮座と口碑あり。社前に子持杉あり(樹齢600年)。1本の杉より、根から根と西へ、8本繁殖した珍木で、天然記念物として指定された。子なき者、良く参拝して霊験ありという。
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