- 由緒
御円融帝永和元年(1375年)紀州熊野の神を分霊勧請す。坂上田村麿下向の際この社に祈り、戦功を賽して社殿を修営し銀杏樹を植えて、記念した。源義家桃生より進軍の時社参、嘉応年中秀衡宮殿を改築して、3,333刈の神田を進献し、尊崇す。天正の乱に兵火に罹り、社殿鳥有に帰す。後正、修験常光院別当となる。伊達宗直寺池の領地に入るに及び、先例により崇信変ることなし。村永に至り、八幡宮の石材を以って社殿を五郎峯に建築、遷霊、東林寺と改称し、祭日には領主伊達家より警固を附し、幣帛を献する例であった。明治12年村社に列せられる。
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