- 由緒
後鳥羽天皇の御代、文治5年(1189)奥州奉行葛西三郎清重が源頼朝に従って藤原泰衡を追討するに当たり、国家安穏武運長久を祈願のためこの地に、勧請した。葛西家の臣石森氏がこの地を領し、崇敬した。天正年間(1573~1591)に石森左近頼信が社殿を修営した。江戸時代、伊達家の臣笠原氏が邑主となり貞享4年(1687)笠原内記義康が社殿を改築し境内を広め、田代一貫文を寄付し、山号を神集山と称して羽黒派修験吉祥院宥山を召して祭祀を司らせて鎮守社と仰いだ。寛政年間(1789~1800)に笠原貞康は山号を伊勢岡と改め厚く崇敬した。(社伝)明治2年(1869)神仏分離令によって修験を廃した。村社に列せられた。
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