- 由緒
稲荷神社はこれまで約二百四十余年の歴史を有します。神社の前身は京都聖護院派配下で天台宗に属し熊野三山で修行を積んだ本山派の修験院であり、安永三年(1774)に本山派寶寿院秀栄(五世)が仙台藩に提出した「安永の風土記御用書出」に「寛文拾歳胎藏院即源開基当年迄百拾四年ニ罷成候事」また「右院赤生津村之内新田と申所ニ御座候事」と明記されている。新田は東藩史稿に記してある甲州、武田勝頼の遺族「武田充信 父貞信」の段に「正保承慶ノ初開田ノ地ヲ桃生郡和淵、登米郡赤生津ニ賜ヒ、」と明記がある、新田開拓の後、領主伊達氏をはじめ地域住民神殿を遷宮、神霊を遷し祀る。明治12年村社列格。同44年供進社に指定される。稲荷神社はまた、いつのころからか、「まめから明神」の愛称で親しまれています、祭りの時期がちょうど豆畑の収穫が盛んなころ行われていて、神社の周辺の豆畑が近郷近在の多くの参拝人に踏み荒らされることからこのような呼び名がついたといわれています。
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