- 由緒
駒形神社の所在は迫町新田駒林で祭神は倉稲魂命。大同年間(806年-810年)征夷大将軍坂上田村磨呂の創建と伝えられている。しかし実際は駒林に居住していた仙台藩士黒澤氏(葛西氏家臣で一関市に3000町歩の領地を持ち、豊臣秀吉の奥州仕置き(1590年)の際に葛西氏が伊達政宗に滅ぼされた後331石で伊達氏に召し抱えられる。)が藩主の命で松前の蝦夷反乱征伐のとき(1808)の帰途黒澤永章源繁之烝が露営したとき枕の下で馬の鳴き声を聞き、そのまま就寝したが夢枕に『頭の下に馬(駒)がいる。』とお告げがあり家来に枕の下を掘らせたら金銀の合金の馬(駒)を発見した。それをその場に預け船で暴風雨の中青森に向かう途中船が転覆になりそうになった時に駒形神社をお祈りしたら不思議にも海が平静になった。これは駒形神のお陰と悟り石巻から宮司を招き社殿の造営を行い篤く尊崇した。本尊はこの時に発見した馬であり、今も御神体とされている。社殿の中には江戸末期天保2年(1831年)などに奉納された絵馬がそまま掲げられていることから倉稲魂命でありながら、産馬の神である広く内外の農民の信仰を受けた神社であった。明治8年村社に列している神社でもある。祭日は4月19日、9月19日である。宮司は昭和以前は神山氏、その後石川氏、千葉正志氏、現在及川健三。総代長田崎敏雄である。
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