- 由緒
鎮座地は、旧栗原郡三迫高倉荘石越村といい、佐沼の北6キロ、南は迫川流れ、北は磐井郡流郷に境する。「縁起」によれば、景行天皇40年、日本武尊東征の途次伊勢神宮に社参の砌り、倭媛命より明玉を授けられ、「頭上に戴きて赴むくべし必ず勝利を得ん」と申された。尊は着陣の地に之を埋め神祠を建て斎き祀ったという。後、明玉は霊石と化し年々小石を産む。よって里人は石神、明神石と称え崇め、村名を石小石村といった。延喜式内社であり栗原郡七座の一である。和銅2年(709)鎮東将軍巨勢麻呂蝦夷征伐の際、近江国栗田郡健部氏従事してこの地に来て本社を再興し神主となり後世に及ぶが、文治5年藤原泰衡滅亡し社域また荒廃した。然に安永年中田辺希元の調査によって式内社であることを知り、天明6年肝入小野寺新右衛門宮社を再興し天保11年3月には正1位の神階授った。明治6年6月郷社列格、同40年3月供進社に指定された。
- 地図