- 由緒
一条天皇長保(1000、平安)2年山城国紫野今宮大明神より分霊を遷祀した。仍て紫の大明神社と称された。江戸時代北方邑主津田民部景康知行二百文を寄せ、後の邑主亘理家も亦二貫文を進献して篤く崇敬す。嘉永2年3月28日今大路民部卿より正一位の極階に昇せ奉る。亘理氏は殊にこの神を崇め、例祭には警固の為足軽10人を出した。明治6年12月村社列格。大正10年供進社に指定された。○今宮は京都上京区紫野今宮町に鎮座。大己貴命、事代主命、稲田姫命、素盞鳴尊を祀る。疫病神で一条院の正暦5年、長保2年世間静かならず。神社を船岡山の北に建て御霊会を行い今宮と号し神馬を奉った。社伝長保2年創建説は信じ難く、猶調査を要する。祭神に素尊の御子神を配するは一説にあることで、ここの社にかけている。
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