- 由緒
朱雀天皇の御代、天慶3年(平安)、米岡領主藤原秀郷(田原藤太)公が此の地に宇佐八幡の神を勧請したとされる。その後、慶長3年に応神天皇・神宮皇后・武内宿祢を祭神とし、米岡八幡神社として創建された。近世に至り、寛永16年、白石若狭守宗貞の再興にかかる。明治5年3月、村社に列した。また、同44年4月供進社に指定された。後に後小路の愛宕神社および古峰神社、西小路の雲南天神、八軒小路の駒淵神社、平埣の稲荷神社の五社を合祀した。昭和60年に社殿の老朽化に伴い、さらには立木等の影響で屋根の傷みが激しくなり大修理を行っている。
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