- 由緒
日本武尊征夷の途に上るや、此の地に在りし豪族朝日長者なるもの忽ち皇威に服し其の恩威敬慕の情禁じ難く浄地を朝来山に求め尊を祀り厚く尊信した。後、桓武天皇の延暦中、田村麿当朝来山に於いて祈請するところあり。朝日照実の代、朝来社と称え傍に神明社、馬頭観音を勧請し境内堂宇の完備をはかった。永保元年3月山火事の為社殿什物悉く烏有に帰し、且つ照実没落し荒廃久しかったが、葛西氏の一族葛西信業善王寺城主となるに及び、社殿を再興神領を寄せ領内の鎮守として累代尊信した。慶長16年9月信業、後藤寿安の家老として永沢に移ってからは、登米領主伊達氏の所領となった。天保12年五大院秀海善王寺村森ノ腰薬師山薬師堂に遷座、伊達家より社領二百六十文の寄進あり。明治7年1月永沢県参事増田繁幸社参薬師堂及天満宮社地調査あり。当社をして朝来神社と呼ばしめ山号をば朝来山と称えしめた。同8年豊原明を祠掌に補し、同10年村社に列した。同43年9月維持方法確立の認可あり、同年10月村社北野、愛宕、白山の三神社を合祀し今日に至る。
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