- 由緒
後陽成天皇の御代、文禄元年(1592)近江の国(滋賀県大津)圓城寺(三井寺)門徒の圓城寺大徳圓快阿闍梨は黒沼邑に流行していた疫病の退散を祈祷するに当たり、この地に新羅山圓城寺を造営し、新羅明神を勧請した。「慶長2年(1597)新羅神社縁起」元和8年(1622)吉野坊が諏訪明神を奉齊して当地に至り、圓城寺に合祀した。寛永5年(1628)高泉長門定康が黒沼邑に移封となり、諏訪明神を崇敬して高泉家の守護神とした。正徳4年(1714)大願成就を果たしたことによって社殿を再建した。その後、寺名は黒沼寺と改められ、羽黒派修験に属していたが、明治2年(1869)神仏分離令によってこれを廃し、新羅神社と改称した。明治12年(1879)村社に列せられた。
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