- 由緒
須賀神社は、文治5年(1189年)鎌倉権五郎影政の孫である長江太郎義景が将軍源頼朝より深谷の庄を賜り矢本城主の時、祭神を京都祇園社より御神体を遷祀し祇園社と称した。明治5年(1872年)神仏分離の令により須賀神社に改め明治39年(1906年)に村社に指定された。又、雷神社は萬延元年(1860)に建立。明治42年(1909年)須賀神社に合祀され境内社に佐久良神社がある。境内にある鐘楼は天保3年(1832年)大江要七済俊氏の奉納によるが、明治維新に神仏の合祀を区別され仏事の扱いとされ撤廃されたが後に再建された。しかし太平洋戦争に鐘は供出し現在は鐘楼のみが残る。現在の神社は明治5年に当町の森山喜八郎氏が棟梁で副棟梁には加賀栄七氏がなり再建された。拝殿向拝にある欅の枝を使用したもので作者は名も告げずに立ち去ったという。この彫刻は町内屈指の美術工芸品である。
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