- 由緒
往古、鳴瀬川河口に三島あり、沖の明神、中の明神、岸の明神と称す。各島の頂上には、当社御祭神を祀る。沖の明神が猿田彦大神、中の明神が布留霊神、岸の明神が天宇受女神なり。藩祖・伊達政宗公の御代、年貢米の輸送船、漁船の船人に至りては、神威の顕著なるに感激し、屢堂(社殿)を建立せるも、再三激浪により流失せるを遺憾とし、今を去ること四百年程前に現在の地に遷座せり。明治28年、偶鰯の大漁に会し、氏子たち、神殿及び拝殿を改築寄進す。明治39年、神社合祀に基づき、村内各社を合祀せり。明治初年、村社に列し現在に至る。
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