- 由緒
桓武天皇第五皇女大宅内親王(平城帝妃)を祀るといい、大同2年(807)皇弟伊豫親王事に坐して、死を賜わったとき、親王の皇妹逃れて小野本郷岩崎の地に居る。内親王薨去の後五穀の神と仰ぎ、爾来新山大権現と称す。古くより深谷二十五ケ村の総鎮守である。今社蔵古棟札等を見るに文治2年、天文16年、慶長2年等のものがあって、文治2年平景政「建初」とするに至っては疑問をもたざるを得ない。或は新山(真山)の神は先に祀られ、後三年の後(応徳元、9~寛治元、11)において高名をあげた鎌倉権五郎景政がその賞として深谷の荘を与えられ、桓武平氏の故を以って皇女を祀ることになったものかと思われる。後孫長江太郎義景は文治5年小野城に居る。天正19年勝景(入道月鑑)最上氏に通じた罪で藩祖伊達政宗に誅せられた。義景が大窪に寺を建て(隆泉寺今功岳寺という)景政の霊を弔ったのは文治3年であった。勝景の家が滅んで富田氏にかわるが、歴代の邑主は厚く崇敬して社殿の造営祭事の興行を怠らなかった。明治2年現社号に改め同年5月村社に列する。なお、シンザン(真山・新山・深山)と称する社が奥州諸郡に在って、秋田県北浦鎮座の古社真山神社(元県社真山赤神社)を本拠とし、その祭神についてはいろいろ説く。然し秋田の古四王と同じく越後阿部氏の祖「大彦命」とし、或は「漢武帝」とするものが有力である。吉田博士地名辞書、神道大辞典、又御霊社と称して郡内大窪、小野、矢本、多賀城市下馬などに神社があるがこれは謂うまでもなく鎌倉権五郎景政の霊をその城中若しくはその関係の地に奉祀したものに外ならない。大塩村内の愛宕、山、白山、紫、熊野(四社)の各神社を合併する。
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