- 由緒
風土記書上げに「誰勧請ト申儀並年月日相知不申候事」とあるが安永年間に書かれた「前谷地旧記」に、その伝承が記載されている。「祭事の始めは正保2年9月29日より祭るなり」とある。古くから五穀豊穣の神、安産の神として霊験あらたかである。明治5年3月、旧村社に列す。境内地内に現存する龍神の詞碑、石鳥居など神社信仰の厚さと歴史を偲ばせる。祭典には龍口童子により春は女子による花御膳行、秋は男子による流鏑(寛政年間より)の神事が継承されている。往古より数丈の龍体(岩石)をご神体とし社殿の設けは無かったが、大正8年6月に拝殿(39.7㎡)を建築したが、老朽化した為に平成2年に生を郷に受け育ち京にて事業に成功された故支倉常次殿が巨財を投じ、平成御即位記念に社殿をはじめ奥の宮、末社2社、社務所、倉庫、便所2棟、鳥居、手洗舎を建立寄進され、更に境内地整理美化されご神域を備えられ現在に至る。
- 地図