- 由緒
当社の創建は、第12代、景行天皇第二皇子、日本武尊東夷征代の時、この郷に本陣を定めた時、陣中に糧食欠乏して軍士の殆んど飢に至る。日本武尊、甚だ憂い給いし時、忽然と3人の老翁現れ、飯を炊き以って之を奉る。日本武尊、大いに御感悦あって夷賊を平定して後、祠を建て之を祀る。故に、現在もこの地を飯野と呼び、とき汁の流れるを飯野川という。又、炊飯した処を碓と云い、現在も碓の地名あり、碓明神として氏子三軒にて崇敬せり。寛政年間の棟札には、飯野山大権現とあり。「社伝、風土記」往古は飯野山頂にありしが文化4年、地頭山﨑氏の信仰厚く、七代の山﨑源左衛門、藩命により北辺(北海道松前)警備の任了えて帰るや社殿を中腹に造営して神霊を遷し奉る。明治5年3月村社に列し、明治40年飯野の水分、一皇子、秋葉、出雲、愛宕(無格社)の各神社を合祀する。ついで幣帛供進社に指定される。延喜式内社。
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