- 由緒
社伝によれば熱田神宮の分社と言うが、何時誰の勧請か全くわからない。また、源義家が当社に奉幣した記録があったというが、今残っていない。文治5年源頼朝が藤原泰衡を討つにあたって戦勝を祈り後報賽のため雅楽還城楽の面を献納した。建久年中華厳宗の法印某累代社事を掌っていたが、社殿荒廃したので寛文11年地頭瀬上景姓瑞夢に感じ改造し厚くこれを崇め、元禄6年梅ノ木に転封された後も祭礼には毎年代参を差遣した。享保8年黒沢要人俊栄が代ってこの地を領するに及んで毎年米一石を献し祭事を盛大ならしめた。同10年には藩主吉村封内巡視の際、当社に詣で、社前に巴形の桝形を築かしめ、石階を新設するなど社域の整備をなさしめ荘厳にして尊信の誠を捧げた。明治5年3月村社に列格、同年40年3月幣帛供進社に指定された。
- 地図