- 由緒
慶安2年(1649)高須賀の郷人相謀り遠藤家、(遠藤家の先祖が北上川より御神木を拾い上げたもの)の氏神として祀った白鬚大明神を北上河畔に勧請したものである。爾来村民の尊崇篤く明治5年村社に列せられたが、同41年神取山の新懇神社に合祀したが、その後氏子の切なる要望により再度高須賀の産土神として祀られることになる。昭和21年宗教法人令に依って現在に至る。昭和26年、北上川河川敷に立つ社殿の老朽化に加えて堤外であるため境内地が狭隘であること、北上川の治水工事に関することなどから、氏子の総意により、旧高須賀分教場跡地を好適地として、旧中津山村当局より無償交付を受け、現在地に移転造営したものである。当初、遠藤家の氏神であったものが疫病の平癒祈願に御利益が多かったことから高須賀郷人の信仰を集めて鎮守の神となったと伝えられている。
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