- 由緒
創祀年月日不明(鎮座地の屋根伝い石巻市渡波に至る山が牡鹿の柵との説あり。創祀年は柵創設と関連すると思われる)延喜の制に列す。三宝院弥介の祖先、福地山の神の山に勧請、小鋭神社と称した。後紫桃氏の祖、京都賀茂神社の分霊を得て合祀。(文治2年)。明治5年11月28日郷社に指定。明治40年3月幣帛供進社に指定された。昭和21年宗教法人令により承認。同27年宗教法人法により宗教法人の認証を受けた。鎮座地は牡鹿半島の東の付け根に位置し、同半島の西の付け根に位置する石巻港との内陸水路交通により近代以前殷賑をきわめたと言われる。
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