- 由緒
この社の創祀年代は明かでないが、前九年の役で奥州の豪族安倍貞任亡び、その弟宗任(鳥海館に在り鳥海三郎と称す。)の信仰していた十一面観音を負うて北上川を下り給分浜後山の地に安鎮した。宗任は大原湾に游泳する鮪及び諸魚群を見、この捕獲の方法を考案して漁民に教えようと日夜工夫し、縄をもって結びつなぎ網をつくり兵法にいう八門遁甲の陣立にならい、魚群を網の中に導入して護ることを案出し、これを漁民に教えたといわれる。漁民はその功徳を慕い、遂に大謀網の始祖神として宗任の霊を祀り鳥海神社と称した。爾来漁民の崇敬厚く殊に祭典には大網主の祭事興行にあずかることは申すまでもない。なお、神社に正慶2年(1332、鎌倉)5月27日左兵衛尉平朝臣より鳥海大明神社に田壱反の寄進状がある。(家蔵記録)
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