- 由緒
貞観年中の勧請にして大和国瀧田神社より分霊せり、その后年代悠遠己に荒廃に属せしを慶長14年9月伊達政宗社殿を再興し社領八石二斗四升を寄附す。元久年間修験文覺なる者此の地に来り社頭に不動を安置す。然りしより信徒誤て之を一村鎮守と称するに至りしも、明治4年神仏混渚を解かれ、往古に復す之を瀧山明神と称せしを荒澤神社と改号す。同年12月6月村社に列す。維持方法認可、大正元年11月18日、人皇百八代後陽成帝、慶長14年仙台藩主社殿を再興し社領八百五十四文を寄附す。現存する寛永21年以下の御墨付、御朱印の謄本左於元良郡荒戸濱八百五十四文之所如先規寄附、目録財掃地勤行不怠慢者也仍如件。寛永21年8月14日御墨付六枚、御朱印書七枚計十一枚現存せり、享保13年7月28日「人皇百十四代中御門天皇の御代、江戸時代」藩主伊達吉村公御参詣鳥居前御目見被付別当和光院宅へ為入、御詠歌並びに真綿二抱え下しおかれた。
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