- 由緒
鎮座地保呂羽山は、本吉山ともいい、志津川町の西嶺で、登米郡日根牛の東にあたる標高329米の丘陵である。文武天皇の大宝年中(701~703、飛鳥)役行者の開基と伝え、康平年中(1058~1064、平安)仏勅により源義家改築し、文治2年(1186、鎌倉)本吉四郎高衡再びこれを建て替え、修験中将院(後の喜明院)をして別当と定める。後、千葉大膳大夫重次この地に居りしが、天正年中改易となった。その後、永禄2年(1559、室町)に至り祐永法印(12世和光山喜明院祐永か)更に本社に再興す。(縁起、安永風土記、書出封内風土記)この社は、大宝草創以来の古社として武家並びに一般庶民の信仰をあつめ、明治の初め権現号を廃して現社号に改め今日に至る。
- 地図