- 由緒
土御門天皇の建仁元年(1201、鎌倉)奥州信夫荘司佐藤基治の妻乙羽姫(後尼公とも云う。平泉藤原秀衡の妹)の子佐藤次信、忠信の兄弟屋島・吉野の戦に主君源義経の身代りとなって忠死せるにより祈誓するところあり、已が湯沐の地たる山田・津谷両邑の境に吉野蔵王権現(金峯神社)吉野水分神社を勧請して御嶽と云い、後御嶽蔵王権現と称した。明治8年5月村社加列、昭和5年12月幣帛供進社に指定された。昔山の南麓に天台宗海沢山養光寺あり社寺の事を司る。後米倉館主米倉持長(葛西家臣)の代に入りて大光院、弘治3年(1557、室町)より津谷金峯山金剛寺別当となる。(封内風土記、社伝)
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