- 由緒
坂上田村麿東征に際し、桃生郡深谷より本郡柳津を経て石見に屯軍し、この神に奉幣して戦勝を祈る。大杉の根元に石宮ありこれを呼んで「麻崎」というた。凱旋の後、ここに十一面観音堂を建立した。それは大同2年のことであると伝える。その後堂塔は廃頽に帰したが、藩祖伊達政宗の女を女川の領主飯田能登に入嫁するに及んで、横山村をその化粧料の地として与えた。寛永年中遂に社殿並びに観音堂を再興して篤く尊崇す。宝永2年山火にて悉く炎上したので享保2年にこれを復旧した。明治3年神仏を分離して横山神社と称した。同8年5月村社列格、同42年11月、村内の月山、羽黒、湯殿、熊野、愛宕の5社を合併する。
- 地図