- 由緒
本社は聖武天皇の天平感宝元年(749、奈良)行基菩薩の勧請にかかる羽黒権現社中に御同座の神である。旧折立村内神社13社及び仏宇6皆この山中に在る。後三年の役に勲功あった藤原清衡、3代秀衡の信仰篤く、文治以後藤原氏滅び、葛西氏の所領となり清重社領1千石を寄進あり、慶長年間葛西家没落、社宇また荒廃したが、文禄年中妙海比丘これを中興した。江戸時代に至り本吉郡折立村の総鎮守とする。「安永3年9月風土記書出」によれば祭神について次のように記している。『一殿 武雷神 二殿 経津主神 三殿 天児屋根命 四殿 久奈土神 人皇48代称徳天皇神護景雲2年正月9日大和国添上郡三笠山に垂跡し給へる此所勧請也。』明治の初め神仏分離し、5年5月村社に列せられしも、8年区画改正により無格社となる。現在の春日神社は、明治42年羽黒、月山、湯殿山、熊野、八幡の5社を合祀した。
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