- 由緒
天文12年(1543)本吉郡小泉城主、三条小太夫近春が、家臣、中舘平五郎信常なる者に命じ、豊前宇佐八幡宮分霊を此の地に勧請し、一村の鎮守として崇敬したと伝えられる。葛西滅亡後、伊達の配下になるが、旧恩に感じ伊達に心服せざるをもって伊達に呼び出され、途中広渕沼にて討伐を受けるが難を逃れる。翌年再び呼び出しを受けた近春は、再度逃れること、かなわずと覚悟を決め、あたかもその日が神社の例祭日(8月15日)にあたるため、8月12日に例祭を繰り上げ斎行し出発した。果して途中伊達の伏兵に出合い、打ち果された。以来、村人たちは、近春の威徳をしのび、例祭日を8月12日として現在に至っている。それ故に、小泉の早稲八幡として知られるようになったと伝えられる。(社伝)。明治5年3月…村社に列す。明治42年5月…久須志神社を合祀し配祀の神が11神となる。
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