- 由緒
天文年中(1540年代)相馬長門守平吉胤、この地に天之御中主神を勧請し妙見社と称し、高屋神社となった。明治になって信仰する氏子18戸であった。慶安3年(1650)3月、誉田別命を勧請し八幡社と称し、八幡神社と称し呼ぶようになった。氏子は、前記を加えて44戸となり氏神とした。明治5年(1872)11月、ともに村社に加列した。明治41年(1908)11月、郷社鹿島天足和気神社に合祀した。合祀後は、八幡神社のあった境内地に遥拝殿を建てて、遥拝の儀を行ってきたが、昭和23年4月御祭神を仮に遷座し奉った。区民一同は、氏子として両祭神の祭祀を継続していた。その間、鳥居の修復、御玉垣の建て替え、拝殿内部の模様替え等の大修理を施し社殿の修理が終了した。昭和49年1月、高屋神社としての創建を申請し、同年6月7日付けで神社本庁統理の規則承認を得て、同月20日付けで代表役員宮司に、鹿島天足和気神社宮司三品弘毅氏が就任を承認され発令された。同年11月6日、宮城県知事の認証が済み、同年11月22日登記簿の謄本を添えて宗教法人成立届け出を行った。そこで、創立記念祭を行い鹿島天足和気神社より御神輿渡御祭をし、御分祀の祭礼を行って現在に至った。境内地の561平方メートルは、鹿島天足和気神社の飛び地であったものを無償譲渡されたものである。
- 地図